◾️ENVIRONMENT DESIGN

このデザインは、マーケティングの文脈で生まれたものではありません。
たとえばブランディングでも、差別化でもない。
あくまで「設計思想」です。

運送業は“物理的な移動”を本業としながらも、
実はその背後で、空間、時間、関係性、社会構造といった見えざる要素を運び、維持し、増幅している機能でもあります。

そして我々が置かれている「環境」は、必ずしも中立ではありません。
都市の設計、業界の慣習、制度の解釈、そして個人の常識。
それらすべてに、意図されたか否かを問わず、人を黙らせ、立ち止まらせ、消耗させる圧力が含まれている。
私はそれを、直接的な“悪意”とは呼ばず、「静謐な意図」「惰性から発生する慣性」と捉えました。

今回のラッピングは、まさにその設計に対して、明確な異物として発現するものです。

青は、夜明け前の静謐と、まだ言語化されていない意志の色。
それは喧騒の中ではなく、沈黙の臨界点で生まれる意思を象徴しています。

縦に構成された社名ロゴは、日本語としての美学と、工業的直線性の交点にあります。
その配置は、読みづらさと向き合うための演出ではなく、
「誰がどう読もうと、意味を持ち続ける構造」でもあります。

全面に配したホイールエンブレムは、運送の象徴である“回転”と“到達”を抽象化したもの。
しかしそれだけでなく、見えざるネットワークや情報の分散構造を視覚化したものでもあります。
この構造は、止まっていても“動いている”ことを目的に設計されました。
——つまり、「運ばれていないときにも、物流は存在している」という思想の視覚翻訳です。

このラッピングは、単なるビジュアル的な装飾ではありません。
それは、私たち自身のあり方に対する「再設計」の始まりであり、
そして何より、社会と組織と環境の間に存在する見えにくい“設計された常識”への、穏やかな問いかけです。

私たちがこの意匠を世に問うことは、
単に企業としての“見た目”を整えるのではなく、
企業が社会に対してどう関わるべきか、という倫理の意志表示でもあります。

たとえば、働く環境とは誰が設計しているのか。
輸送効率やコストパフォーマンスという名のもとに、
人間性や時間感覚が摩耗してはいないか。
「当たり前」という構造に、どれだけの意図と無意識が含まれているのか。
私たちは今、それを物流という領域から静かに掘り起こし、応答していく時代に来ていると考えます。

社会インフラの一端を担う企業だからこそ、
その輪郭からすでに「問い続ける存在」であるべき
なのです。

私たちは、意図された構造=”INTELLIGENT DESIGN”の上に生きています。
しかしその構造が、いつしか誰の声も届かない巨大な無意識になってしまったとき、
誰かがそれに異議を唱える必要がある。

それが攻撃的な破壊ではなく、
美しさを纏った違和感として、風景に現れるならば——
それはきっと、誠実な企業のかたちのひとつなのだと信じています。

この車両は、走る広告塔ではなく、静かな対話のきっかけです。
そして、この意匠に込めたのは、
設計された世界に対する、設計し直す側としての小さな反射光です。

私はそれこそを、“ENVIRONMENT DESIGN”として再定義することにしました。

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