◾️ENVIRONMENT DESIGN
このデザインは、マーケティングの文脈で生まれたものではありません。
たとえばブランディングでも、差別化でもない。
あくまで「設計思想」です。運送業は“物理的な移動”を本業としながらも、
実はその背後で、空間、時間、関係性、社会構造といった見えざる要素を運び、維持し、増幅している機能でもあります。そして我々が置かれている「環境」は、必ずしも中立ではありません。
都市の設計、業界の慣習、制度の解釈、そして個人の常識。
それらすべてに、意図されたか否かを問わず、人を黙らせ、立ち止まらせ、消耗させる圧力が含まれている。
私はそれを、直接的な“悪意”とは呼ばず、「静謐な意図」「惰性から発生する慣性」と捉えました。今回のラッピングは、まさにその設計に対して、明確な異物として発現するものです。

青は、夜明け前の静謐と、まだ言語化されていない意志の色。
それは喧騒の中ではなく、沈黙の臨界点で生まれる意思を象徴しています。
縦に構成された社名ロゴは、日本語としての美学と、工業的直線性の交点にあります。
その配置は、読みづらさと向き合うための演出ではなく、
「誰がどう読もうと、意味を持ち続ける構造」でもあります。
全面に配したホイールエンブレムは、運送の象徴である“回転”と“到達”を抽象化したもの。
しかしそれだけでなく、見えざるネットワークや情報の分散構造を視覚化したものでもあります。
この構造は、止まっていても“動いている”ことを目的に設計されました。
——つまり、「運ばれていないときにも、物流は存在している」という思想の視覚翻訳です。

Do not go gentle into that good night."
― Dylan Thomas
デュラン・トマスが謳うこの詩は、「穏やかな夜に身を任せてはいけない」と訳されます。
この詩は、あらゆるシステムに呑み込まれていく“我々の意識”への警鐘でもあります。
運送業もまた、日々制度に埋もれ、
仕組みに溶け、
“当たり前”の中に沈んでいきます。
だからこそ、私たちは問わねばなりません。
「誰がこの環境を設計したのか」
「誰が何を知っていて、何を知らずに運んでいるのか」
“Knowing who knows what”という問いは、
単なる情報統治の問題ではなく、
企業としての倫理のあり方そのものを突きつけてきます。
我々が掲げる「ENVIRONMENT DESIGN」とは、快適さを売るものではありません。
それは、環境に埋もれてしまった構造と意図を、もう一度露呈させる設計行為です。

このラッピングは、単なるビジュアル的な装飾ではありません。
それは、私たち自身のあり方に対する「再設計」の始まりであり、
そして何より、社会と組織と環境の間に存在する見えにくい“設計された常識”への、穏やかな問いかけです。
私たちがこの意匠を世に問うことは、
単に企業としての“見た目”を整えるのではなく、
企業が社会に対してどう関わるべきか、という倫理の意志表示でもあります。
たとえば、働く環境とは誰が設計しているのか。
輸送効率やコストパフォーマンスという名のもとに、
人間性や時間感覚が摩耗してはいないか。
「当たり前」という構造に、どれだけの意図と無意識が含まれているのか。
私たちは今、それを物流という領域から静かに掘り起こし、応答していく時代に来ていると考えます。
社会インフラの一端を担う企業だからこそ、
その輪郭からすでに「問い続ける存在」であるべきなのです。
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私たちは、意図された構造=”INTELLIGENT DESIGN”の上に生きています。
しかしその構造が、いつしか誰の声も届かない巨大な無意識になってしまったとき、
誰かがそれに異議を唱える必要がある。
それが攻撃的な破壊ではなく、
美しさを纏った違和感として、風景に現れるならば——
それはきっと、誠実な企業のかたちのひとつなのだと信じています。
この車両は、走る広告塔ではなく、静かな対話のきっかけです。
そして、この意匠に込めたのは、
設計された世界に対する、設計し直す側としての小さな反射光です。
私はそれこそを、“ENVIRONMENT DESIGN”として再定義することにしました。